ヘルニアさんからの贈り物

ヘルニア

最高の入院生活が始まり、私はその自由な時間を贅沢に過ごしていた。

基本的に1日の中で大きなイベントは、朝昼晩の食事と検温&血圧検査くらいである。

そう。
それ以外は完全に自由時間なのである。

入院する前に元気だった頃、私は仕事に家事に子育てに明け暮れてほとんど自分の時間などとれていなかった。

なので、こんなにも自由時間がたっぷりある生活は久しぶりだった。

脊髄にカテーテルで24時間麻酔を入れ続けているので、とにかく全く痛くない

痛くないんだから、痛みに耐えたりうなされたり、悶える事なども何もない。
自分でご飯を食べる事だってトイレに行く事だって何だってできちゃう。

私はここぞとばかりに買ってきた本を読んだりテレビを観たりと、ダラダラ生活を送り始めたのだった。

そして更に贅沢な事に、私は時間を持て余すようになってしまった。

ひ~~~ま~~~。
ひまって漢字でどう書くんだっけ~?!

次の検温まで2時間か~。

もってきた本も読みつくし、テレビにもだんだん飽きてきてしまった。
部屋ではWi-Fiが使えなかった為、YouTubeなど観る事は難しかったのだ。

忙しい時はあんなにも時間が欲しいと思っていたのに、いざたっぷり時間があると結局暇をもてあましてしまう。

あぁ。
人間ってわがままな生き物だなぁ。

などと、哲学的に考えてみたりなんかしてみたりなんてしちゃったりしてみた。
ヘ(..、ヘ)☆\(゚ロ゚ )暇人か



そんな中とても嬉しい出来事があった。

それは
娘からのLINE電話である。

大部屋に入院患者は私1人だった為、ベッドに寝ころびながらイヤホンもせず長電話を楽しむ事ができたのだ。


独身の頃、とにかく子供という子供全てが苦手だった私。

いざ自分が娘を産む時に

私は子供の事を愛せるのだろうか?

という大きな不安を抱えていた。

しかし娘が産まれた瞬間、その不安は一気に打ち消されたのだ。

生まれてきてくれてありがとう。

本当にこの言葉に尽きる。

あんなに子供が苦手だったはずなのに

こんなに可愛い生き物がこの世に存在しているだなんて信じられない‼

と叫びたくなるほど、娘の事が可愛くて可愛くて仕方がなかった。

初めての育児という事もあり、毎日がそれはそれは大変だったのを覚えている。

当時の夫とは上手くいっていなかった事もあり、ほぼワンオペ状態だった。

家事と育児でヘトヘトになる中、夫婦喧嘩が繰り返される日々。

しかし娘の可愛い寝顔を見ると、とにかく愛おしくて頑張る力が湧いくる💪🔥


そして娘が娘が1歳の時に決断し、私はシングルマザーとなった。

苦労する事が多かったのは事実だが、シングルマザーだった約10年間は、辛い事よりも楽しい事の方が断然多かった!

もちろん喧嘩をする事もあったが、私と娘は時には姉妹、時には大親友のように仲良く楽しく幸せな毎日を送っていた。

そして娘が小学校6年生の時、今の旦那さんとご縁があり、再婚したのだ。

娘と旦那さんはとても相性が良く、誰から見てもまぎれもない仲の良い親子となった。

娘が中学にあがり、ついに思春期に突入した。

中学2年生くらいから、私と娘はちょっとした事で喧嘩を繰り返すようになった。
そこから数年かけて私と娘の関係はどんどん複雑にこじれていってしまったのである。

いつしか私と娘の間には大きな亀裂が入っていた。
氷の様に冷たく深い亀裂だった。


あんなに仲がよかったのに、なんでこんな事になってしまったのだろう。
娘と喧嘩した後、ひとりで泣く事もしばしばあった。

娘は高校を卒業し、大学へ進学。
大学の近くで1人暮らしをする為、都心へと引っ越していった。
もちろんお正月やお盆休みなどは帰省したが、私と娘の関係は相変わらずこじれたままだった。


私がヘルニアになるまでは__。


今回私がヘルニアで入院する事になった時、想像以上に私の事を心配してくれたのは、まぎれもない我が娘であった。

入院する前も寝たきりになっていた私にこまめに電話をかけてきては、私を心配し励ましてくれた。

そして入院中は、私の夕ご飯が終わった頃を見計らって、毎日のように電話をかけてきてくれた。

社会人2年目の娘は、今日の会社での出来事や友達の事など話題豊富に色々と話をしてくれた。
毎回1時間を超える長電話だったと思う。
娘とお喋りをしている間ずっと、私は物凄く幸せだった。

この長電話を繰り返す度、私達の関係は少しずついい方向に向かっていった。

例えるならば、私と娘の間に大きく立ちはだかる氷が、少しずつ溶けていくようなイメージだった。

娘とまたいい関係に戻れたのはヘルニアになったおかげかもしれない。

後で旦那さんから聞いたのだが、私が体調を崩し始めた時、娘は私を心配して泣いていたらしい。

娘とまた仲良くなれた事は、私にとってそれはそれは大きなギフトだった。

そのおかげで、重症のヘルニアになったのは、偶然ではなく必然だったと前向きにとらえる事さえできたのだった。

ヘルニアさん、ありがとう。

今も時折、私は娘と仲良く長電話をしている。



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